ずっと散らかした部屋で住んできました。
自分の部屋を与えられた小学生の頃からも。
大人になって一人暮らしを始めてからも。
スタートは新築のきれいなアパートでした。多少高くても常にきれいな住まいに憧れがありましので、無理してそれなりのところを、特に収納もたっぷりある物件を、いつも選んで引っ越ししてました。
今度こそはスッキリとセンス良く住みたい! と思うのですが無理でした。
どんなに気合を入れて片付けても、1週間と維持ができませんでした。
そして、物はどんどん増え続けるだけで、一向に片付かない!
そもそも物が多すぎでした。キッチンでは、電子オーブン、トースター、電子ジャー、ミキサー、ジューサー、コーヒーメーカー、パン焼き器、フードプロセッサーどんどんと増えていきました。
買った後滅多に出番もなく埃まみれになっていた物も少なくありません。
趣味系では、ミシンはロックミシンと工業用ミシンの二台、仕事で使っていた画材も、本雑誌も多数。
最後に半分物に埋もれたソファーも。
普段の日常には使わないけれど、いつか使うかもしれないと思うと処分できない物を、他に移動させて、隠しても、それでもまだ溢れているとう状態でした。
その時一時だけ、片付け整理できても、根本的なことをクリアしない限り意味がないことは、わかってはいました。
現状を把握できていても、実行できなければ意味がない!
今日こそやろう、30分、いや15分だけでも取りかかろう、そう思っても、どこから、何から手をつけたらいいのやらで、深い暗闇、沼に落とされ手も足も出ない状態と例えたらいいのやら。
あるいは、金縛りにあった状態になってしまうような。
実際意を決して片付けようとして、物を手に取ってみても、ほとんど明らかなゴミ以外捨てる物がないのです。
これは使う予定がある物と判断される物がほとんどで、保留にさえならない物ばかりで、全く片付けられないのです。
とりあえず今はいらないと思える物も、処分の対象にはならず、納戸か物置に行きにするくらいがせいぜい。
まだ実際に物置や何度にしまうところまで行けばいいのですが、そんな物ばかりで全て移動するのは困難な状態ということになります。
全力で気力を奪われる、片付けたい意思
そして少し物を移動させたとところで、見た目、1ミリも片付けは進んでない状態に終わります。
1ミリも進んでいなくても、徒労感だけは半端なく、片付けへ続行へのハードルはさらに上がります。なるべう理由を作っては延々と片付けることを先延ばしにしてしまうという、無限地獄のスパイラルに突入していきます。
何度か意を決して、そこからの脱出を試みるのですが、志半ばどころ初っぱなから、あえなく退散というのを繰り返しているのです。
そして捨てられないけど、ときめかない物に大量に囲まれたような部屋、家に圧迫されつつ暮らしていくことになります。
早くここから脱して残された人生を、スッキリしたきれいな住まいで、心ときめく物に囲まれた生活を遅れることを切に願う日々です。
これが最後の戦いだ! できなければもう残りの人生はないと思え!
そう宣言して、今日から最後の戦いに挑みたいと思います。
ADHD(ADD)の脳の仕組みなのだから、これを克服するのは不可能だということは、歳を重ねるごとに実感しています。
対処法でしか、攻防ができないことも。
だから物を徹底的に減らし、必要最低限の物を残し、そもそも片付けがいらないとうレベルを目指さなければならないのです。
そして、スッキリしたシンプルライフを送れるのはその先であることを、肝に銘じて最後の戦いに挑みたいと思います。
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